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札幌高等裁判所 昭和42年(う)114号 判決 1967年7月20日

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

記録によれば、原判決は、OおよびA両名が現場に於て共同してM女を強姦(予備的訴因としては未遂)する行為を被告人において幇助したという公訴事実につき、被告人に対する告訴が起訴前に取り消されたことを理由に、公訴棄却の判決を言い渡したものである。

検察官の所論は、原判決が刑法一八〇条二項の解釈を誤つたという。

およそ、特定の犯罪が親告罪とされている以上、告訴の要否が正犯者の場合と共犯者の場合とで異なる筈は一般にはないこと、ならびに刑法一七六条ないし一七九条の罪が親告罪とされているのは、これを訴追することによつてかえつて被害者の名誉等を害するおそれがあるというためであり、また同法一八〇条二項が、事案の暴力犯的兇悪性・高度の反社会性の故に、被害者一身の名誉等に対する配慮をあえて後退させても、これを適正迅速に置罰すべきだという要請に基くものであることは、まさに原判決の説くとおりであろう。

それならば、刑法一八〇条二項の要件をみたす行為が非親告罪とされるのは、客観的な当該行為それ自体の性質に根拠づけられてであり、例えば同法二四四条におけるように、個々の犯人と被害者との一定の身分関係の上に根拠づけられるというような類のものではない。本項の要件を充足する場合は、その犯罪自体が非親告罪になるものと解すべきゆえんである(本項の要件を充たしている場合、現場に居合わせない共謀者――それが正犯とされる場合――について告訴を要しないことは、原判決もこれを承認するが、それはここから説明できよう)。したがつて、告訴の要否はまずその者が犯人であるか否かにかかるのであつて、さらにその者の当該行為に対する加功の法律上の程度・態様――正犯か共犯か、教唆犯か幇助犯か――の如何ということは、一般の場合と同じく本項の場合においても、告訴の要否を区別する基準には当然にはならない筈だと言い得よう。

実質的に見ても、本項の要件を充たすことによつて、被害者の意思をあえて無視してまで訴追し、処罰しなければならないような反社会性の強い犯罪が成立する以上、その正犯者はもとより、その幇助者を訴追し処罰すべき公共的な要請もまた、法一七六条ないし一七九条の罪の幇助者における比ではない筈である。本項が、ことさらにこの点を予想していないとは考えられない。

さらに、被害者の名誉等に対する配慮という点から実質的に考えても、本項の要件を具えた犯罪が成立し、既に正犯者が訴追されて被害者の名誉等が侵されるべき事態になつたならば、幇助者のみを告訴に待たせたからといつてこの事態を回復するよしもなく、被害者保護のためにはまつたく無意味に近いのである。原判決がいうような幇助者のみが訴追を受けて正犯者がこれを免れるという事態は、実務上むしろ稀といつてよく(かりにそのような事態があつたとすれば、それはかえつて訴追・処罰の具体的必要性が強い場合であろう)、それをもつてただちに一般論の根拠とすることには疑問がある。要するに被害者の利益の保護という観点からも、幇助犯のみについて告訴を要するとすべき実質的理由には乏しいといわなければならない。

以上を総合して結論を示せば、「二人以上現場に於て共同して犯したる前四条の罪」が成立する以上は、その現場に居合わせない幇助者についても、これを論ずるのは告訴に待つ要はないとするのが、刑法一八〇条二項の法意だということである。

本件公訴提起の手続に規定の違反はないと認められるから、原判決は結局不法に公訴を棄却したものであつて破棄を免れず、論旨(それは法令の適用の誤りを言うが、実質は原判決の公訴棄却が不法であることを主張するのであるから、刑事訴訟法三七八条二号を控訴理由とするものと解される)は理由がある。(斎藤勝雄 黒川正昭 柴田孝夫)

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